【I will…】
 

 

  
1.

「う゛〜ん…。まだ表情が硬いなぁ〜…。特に、君、え〜と、乱馬くんだっけ?も〜ちょっと自然に笑えないかなぁ。肩に置いてる手もぎこちないんだよねぇ…」
 カメラマンの困った声がぐさぐさと突き刺さる。
「す、すみません…」
 全身から汗が噴出し、関節や筋肉がぎしぎしに凝り固まってしまっているのは十分に分かっている。
 本人だって分かっているのである。でも、どうしようもないのだ。
 指先に触れる柔肌に頭の思考が止まり、この何とも気恥ずかしいシチュエーションに全身の血が遡ってしまい、体が思うように動いてくれない。
「ほんっとに、だらしがないわねぇ〜」
 隣で純白のウエディングドレスに身を包む花嫁もジロリと呆れ返った目で睨む。
「しょっ、しょーがねーだろっっ!…こーゆー性格なんだからよぉ…」
 あかねの前では強がったことを言ったとしても、体がこんなんではただの虚勢を張った負け犬男にしか見えない。
「だいたいね〜、あんたが起こした問題なんですからねっ!ちゃんと責任取りなさいよっ」
「わーってるよっ!だから、こーやって一生懸命やってんじゃねーかっっ」
「ほ〜。『それ』で一生懸命なんだ」
 小馬鹿にした視線がちくちくねちねち乱馬を責めさいなむ。
「んだと〜っ」
 己の置かれている立場も弁えず、袖を捲り上げようと思わず腕に手が掛かった。
「ふっ、面白い!やろうって言うの?!」
 あかねも反射的に間合いを取る。
「まぁ、まぁ、まぁ、まぁ、二人とも。そんな格好でチャンバラされても困るから。とにかくちょっと休憩しよう」
「「す、すみません…///」」
 花嫁花婿は相揃って小さくなった。

「じゃ、こっちで休憩してくださ〜い」
 スタッフの人に呼ばれて、なだらかな斜面の裏庭を降り進む。
 東京郊外にもこんな場所があったのかと思わせるこの広大な自然公園は、もとはどこぞの貴族の土地だったらしいのだが、今時、こんな広い土地を相続できる人もなく、国が管理することとなった。
 約14万坪にも及ぶこの公園には、いくつもの丘や森、湖などがあり、散歩はもちろん、サイクリングやジョギング、ピクニックなどを楽しむ市民の憩いの場となっている。
 その緑の楽園の北側に、真っ白な新古典主義の大邸宅が建っていた。
 この美しい屋敷は、元々その貴族の邸宅だったようだが、今はちょっとした美術館として利用されていた。
 正面の入り口を入ると、高級絨毯の敷かれた廊下が左右に伸びている。その廊下を辿っていくと、絵画の飾られた幾つもの小部屋を巡ることができた。
 そして、最後に辿り着く部屋、正面玄関から入って一番奥に、縦長の広い部屋がある。木の香りがするフローリングと絵もない白壁、そして、外の景色を眺めながら休めるようにと壁際に椅子が置かれているだけの部屋だったが、天井いっぱいにまで取り付けられた半ドーム型のガラス窓からは暖かな陽射しが差し込み、部屋全体を明るく照らしている。そして、その窓の向こうには青々と茂る開放的な裏庭が広がっていた。

「あ〜、かったりーなー、こんな服っ」
 用意された敷物の上にごろりと横になると、乱馬は蝶ネクタイを緩め、胸元のボタンを外した。
「あんた、そんなこと言える立場じゃないでしょ?」
「うっせーなー…。んなこたー、分かってるよ」
 あかねの言うことは尤もだった。何の反論もできなければ、言い返せる言葉もない。
 されど、本当は自ら望んだことであるはずなのに、それが簡単にできない己の不器用さ。そのジレンマに、乱馬自身、何か小言の一つでも口にしなければやってられないのである。
(ちっくしょ〜…。さっきまではうまくできてたのによぉ…)
 ファッション雑誌のモデル。
 これが、乱馬に課せられた任務だった。
 しかし、ただのモデルではない。
 テーマは、ウエディング。つまり、愛情いっぱいに花嫁に微笑みかける花婿のモデルだった。
 しかも、相手役の「花嫁」は、あかね。
 常日頃からなびきに鍛えられている乱馬にとって、撮られることなど慣れっこである。カメラを向けられれば、思わずポーズを取ってしまうほどだ。ついさっきまで単独で撮られている時は、最初こそ緊張はしたもののすぐに指示通りに動くことはできた。
 ところが。
 あかねとのツーショットになった途端、あの調子である。
「たかだか写真くらいでなに緊張してんのよ」
 上から降り注ぐ花嫁の声はどこかお冠。
「…誰のせいだと思ってんだよ…」
 あかねの耳には届かぬよう、本音の言い訳をぼそっと吐き出す。
「なんか言った?」
「べっ、別に…」
 こんな時だけ、妙に勘が鋭くなる。肝心な時には日本一鈍感なくせに。
 ちらりと見上げた花嫁は、惚れた贔屓目抜きにして綺麗だった。

 穢れを知らない、清らかな乙女。
 「純白」という言葉がこれほど似合う女性がいるだろうか。

 そんなことを思いながら、彼女の姿に心奪われていく。
(こんな格好、他の男のためにされてたまるかってんだっ)

 そう。
 乱馬が一人いきり立ち、あくせくしながらもタキシードに身を包んでいるそもそもの原因。
 それは、あかねの友人が持っていた一枚の写真から始まった。




2.


「お願いっっ!このとーり!」
 三学期も残り僅かとなり、春到来を予感させる柔らかな光が差し込んでくる昼休みの教室。
 ショートカットの親友に必死に頭を下げる女生徒約一名。
「う゛〜ん…、でもぉ…」
「そこをなんとか!親友の顔を立てると思って、お願い!伯母さんもあかねがいいってすごい気に入っちゃって。やってくれたらパフェでも何でも奢るから!」
 渋る彼女を何とか説得させようとあの手この手で頼み込む。
「う〜ん…」
 元来、人に頼まれたら嫌と言えないお人好しのあかねが、なかなか首を縦に振らないのには何か理由があったのだが…。

「やってやりゃーいいじゃねーか」

「乱馬…」

 大介やひろしたちと花札に興じつつも、耳をダンボにして聞いていた乱馬がひょいっと顔を出した。
「乱馬くんっ、お願い!あなたからもあかねを説得して!」
 縋れるものなら何でも縋りつきたい。藁をも掴む心境なのだろう。
「さゆりもこーやって必死に頼んでんだしよぉ。いいじゃねーか、写真の一枚や二枚くらい。だいたいなー、おめーみてーな寸胴でもいいって……!」

 ドカッ、バキッ

「…バカだな…」
「…だな」
「…ね」
「…うん」
 友人らの冷ややかな目線の先には教室の床に沈められた乱馬の姿。そのすぐ隣には鼻息の荒いあかね。
「あかね…」
 さゆりの泣き付くような頼りなげな瞳。
「…うん、分かった…」
 あかねは観念したように小さく頷いた。
「きゃー!ありがとう、あかね!相手役の人もぜひあかねがいいって言ってるんだって!」

(あいてやくぅ〜〜〜〜?!)

 乱馬の耳がぴくっと反応する。
「でも、ウエディングドレスなんて素敵よねぇ〜」

(うえでぃんぐどれすぅ〜〜〜〜?!)

 今度はのめり込んだ頭をがばっと持ち上げた。
「あかねはかわいいから絶対似合うよ〜」

(だだのモデルじゃねーのか〜〜〜〜?!)

 聞き耳を立てていたのだが、全部聞こえていたわけではなかった。
「相手役の人、今、超〜人気のモデルなんだって〜。あかねのこと気に入ったんじゃないの〜」
 女の子たちの黄色い声が上がる。

(ぬわにぃ〜〜〜〜?!)

 乱馬は勢いよく立ち上がった。
「くぉら、あかねー!」
 『んなものは、やめちまえっ!』。そう喉まで出掛かった。
「なによ」
 だが、一斉に振り返った友人らの顔を目にした途端、見栄っ張りで天邪鬼な性格が邪魔をする。
「ふっ、よかったなー。寸胴も満更……!」

 どっかーん

「しぇ〜〜〜〜〜!!」
 あかねの蹴り上げた遠く先には、春の空にきらりと光る乱馬星。
「…アホだな…」
「…だな」
「…ね」
「…うん」
 肩で息をするあかねの後ろには、友のために合掌する美しき友情があった。




「ほぉ〜、あかねがモデルねぇ〜」
 その日の天道家食卓はあかねのモデル話に花が咲いた。
 親友さゆりの伯母が服飾デザイナーで、最近、新作のウエディングドレスを作ったという。プロのモデルを使うことも考えたが、今回のコンセプトとしては純で無垢なイメージを出したいというので、全くの素人の起用を思い付いた。そこで、その話が姪のさゆりにまで回ってきた時に、彼女が何気なく見せたあかねのスナップ写真が伯母の目に留まったというのだ。
「確かにあかねくんは純粋な感じがするからねぇ」
「モデル料はちゃんともらえるんでしょうね」
「タダでたくさんウエディングドレスが着られるんでしょ?」
「どれ着ても似合うわよ、あかねちゃんなら。この間の時だって、とってもかわいかったじゃない?ねえ、乱馬?」

 つーん…

 花は確かに咲いていたが、それはこの二人を除いてのことだった。
 昼間のケンカからまだ仲直りをしていないこの許婚同士の間には、咲いた花をも枯らしてしまう険悪ムードがどんよりと流れている。
「あかね。乱馬くんのヤキモチも汲み取ってあげなさいよ」
「だっ、誰がこんな凶暴女にヤキモチなんか妬くかっ!」
 なびきの言葉に向きになって反論する。
「誰が凶暴女なのよっ」
「いちいち言わねーと分かんねー鈍感女のことだよっ」
「なにを〜っ!」
「やるかっ!」

 びしっびしっびしっびしっ

 両者の間に激しい火花が散る。
「「ふんっ!」」
 そして、再び顔を背け合うのである。
「あ、あのね…。君たちは許婚同士なんだからもっと仲良く…」

 ギロッ

 恐ろしく殺気立つ四つの目が早雲を睨み付ける。
「まぁ、お父さん。なにも泣かなくても…」
 おいおいと泣き出す父を宥めるかすみ。
「撮影はいつなのよ」
「…今度の日曜日。ごちそうさま」
 一つ上の姉の質問にぶすっと答えると、あかねはさっさと食事を済ませ、居間を後にした。
 残された人々のじと目が黙々と箸を進める乱馬に注がれていった。




「じゃ、行ってきま〜す」
「皆様にご迷惑掛けないようにね」
「頑張ってくるんだよ」
「スナップ写真もらってきてよ」
「アポ〜(いってらっしゃ〜い)」
「気を付けてね」
 日曜日の早朝。皆に見送られ、あかねは撮影現場へと出掛けていった。
「あら、乱馬くんは?」
 わらわらと奥へと戻っていく中に一名欠けているのにふと気付く。
「あのバカ息子なら朝のロードワークに行ってくるとか言って、さっき出てったが…」
「ふ〜ん。いつもはゆっくり寝ている日曜の朝にロードワークねぇ…」

「「「「「……」」」」」

 なびきの一言に、誰もがニヤリと笑ったのは言うまでもない。




3.

 家族の期待通り、乱馬はあかねの後を追って撮影場所へと来ていた。あちこちに茂みや木立がある公園は、身を隠すには絶好の場所。
 あかねがメイクと着替えに取り掛かっている間、乱馬はスタッフのチェックと相手役のモデル探しに余念がない。
(スタッフはまぁ、いいとして…)
 どうやらスタッフの中には乱馬が気になるような野郎はいなかったようだ。
(相手役ってのはどいつだ…?)
 茂みに隠れ、きょろきょろと目を動かす。

「「「「おお…」」」」

 と、その時、スタッフの間からどよめきが起きた。
「ん?」
 視線の集まる方へ目を転じると、そこには支度し終わったあかねが現れていた。


「……」


 それまで静かに流れていた穏やかな森の空気が一変する。
 木々も花も草も風も、舞い降りた天使の美しさにざわめいた。
 天使…
 真っ白い柔らかな布に包まれ、ベールの掛かったあかねの姿は花嫁ではなく、まさに天使だった。
 時が止まり、永遠かと思われた長い一瞬。乱馬は我を忘れ、その姿に釘付けになった。

(ん?!)

 その美しき己の天使につかつかと近寄る影を捉える。どうやら相手役のモデルのようだった。
(…あいつか…)
 乱馬の目は、自分の大事な宝物に近付こうとする禍々しいものでも見るような鋭い光を放ち出す。
 初めはストーカー男のようにじ〜っと二人の様子を葉陰から窺っていた乱馬だったが、
(けっ!俺のほうがかっこいいじゃねーか)
 どうしようもない自惚れナルシスト男が頭をもたげる。しかもこの男、とんでもない独占欲の持ち主。
 相手役のモデルがにっこりと微笑み掛けようものなら、
(はんっ!キザったらしい野郎だぜっ)
 と、偏見・偏狭さが丸出しになり、
 その手があかねの腰に掛かろうものなら、
(うわぁーっ!なにやってんだ、てめーっっ!)
 と、切歯扼腕、体をわなわな震わせ、
 そして仕舞いには、あかねがその男に笑い掛けると、
(ばかっ!んなに笑顔振り撒くんじゃねーっ)
 と、「お○さんは心配性」を思わせるヤキモチ妬き振り。
 こうなるともう止められない。撮影のためのポーズだというのに、妙な考えが先走り、二人の一挙手一投足が彼を狂わせていく。
 そしてこの独占欲が生む嫉妬の嵐が後にとんでもない事件の拍車を掛けることになる。
 その事件とは…


 にゃ〜…


(え゛…)


 猫だった。
 これほど自然を保護している公園である。草木だけでなく、当然、動物もいる。鳥や魚、犬やリス。そして猫も然り。

 にゃ〜
 みゃ〜
 にゃ〜ご

「わっ、わっ、わっ…!」
 来るな、寄るなと追い払おうとすればするほど天敵は集まって寄ってくる。
「やっ…やっ…やめろ…!こっ、こっちに…くっ、来るなあああ!」
 腰は引け、完全にパニック状態。
 そして。

 みゃ〜ん

 一匹が乱馬の顔に張り付いた。


「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」


 耳を劈くような絶叫が公園中に響き渡ったかと思ったら、

 バサッ!

「ぎゃーーーっっ!!わーーーーっっ!ね゛ご〜〜〜〜〜〜っっ!!」

 顔に猫を貼り付け、悲鳴を上げながら狂ったように走る男が茂みから飛び出してきた。
「乱馬?!」
 なぜこんなところに乱馬がいるのかと驚いていたのも束の間、あかねは彼の危険な状況を察知する。
 このままでは猫化してしまう。そうなってしまったら、もう手遅れ。後は大惨事だ。
 なんだ、なんだ、と一般市民や撮影スタッフが唖然とする中、あかねは慌てて乱馬に近寄ろうとした。
 が…


「にゃ〜〜〜〜ご」


(しまったっ!)
 すでに時遅し。
 あかねの最も恐れていたことが現実となった。
「に゛〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
 猫乱馬は、人間でいた時の精神バランスの不安定さを引き摺っていたせいで、かなり機嫌が悪かった。つまり、凶悪化していた。全身の毛が逆立ったようにぴりぴりしているのが伝わってくる。誰に対してかは分からないが敵意剥き出しの、ぎらぎらとした野生の目が周囲の人々を威嚇していた。
「ふぎぃ〜〜〜〜〜〜っ!」
 一声上がった雄叫びは、惨劇の幕開けの合図となった。




4.


「…ん…」
 まどろみの中、遠く離れた意識が徐々に呼び起こされていく。
 己の体をふんわりとくるんでいる温かな空気と、胸いっぱいに吸い込んでは安らぎを与えてくれる大好きな匂い。
 ……もう少しこのままで……
 覚醒を拒む心の声に惹かれながらも、乱馬は意識を取り戻した。
 寝ぼけ眼に映るは真っ白なシルクの海。
 自分の身を沈めるは人肌に温められた柔らかなクッション。
 頭と意識が少しずつ動き出す中で、脳裏に蘇ってくる記憶に乱馬の顔は次第に青ざめていく。
「あ、気がついた?」
 そして、頭上から聞こえてくる愛しい女(ひと)の声で、自分が仕出かした事の重大性にはっきり気がつくのである。
「あ゛…」
 ちらりと上目遣いで覗いた先には、あかねがにこにこしながら周りを見るようにと指差していた。それに従うように、ぐるりと辺りを見回す。
「あ゛…」
 小鳥たちの囀っていた木々は、見事にその頭を放射状に伸びる"鉋屑ヘア"にされたオブジェと変わり果てている。そして、春の日差しに青く照り輝いていた芝生には、短い直線に刈られた無残な傷痕がそこ此処にあり、黒い地肌が現れていた。
「はは…」
 もう一度見上げ、愛想笑いを浮かべた乱馬に、少女はにこにこと笑い続けている。
 が、瞳は笑っていない。
「…どーすんの…」
「はは…、あは…、あはははは…」
 あかねの膝の上で、目の前にある燦々たる状況と少女の顔を交互に見ながら、乾いた笑いを浮かべる乱馬だった。




「ほんと、暖かくなったわよねえ…」
 横になった自分の隣で腰を下ろしているあかねは、手を翳し、空を仰いだ。
 春の陽光を浴びる肌は透けるように白い。
 何着かあるうちの最後の衣装となったこのドレスは、今までの中で一番肌を見せる部分の多いものだった。
(あんな野郎の前でこんな格好させなくてよかったぜ)
 猫化して暫く暴れ回ると、乱馬の狙いはあの相手役のモデルに移った。公園内の自然ならまだしも、人に危害を加えたらまずいと判断したあかねは、乱馬が飛び掛ろうとした瞬間に、彼を膝元へ呼び寄せた。標的となったモデルは、猫乱馬に睨み付けられた時点で失神してしまっていた。その責任を取り、相手役のピンチヒッターとしてカメラの前に立つことになった乱馬。

 …たとえ嘘でも、ほかの男の隣で幸せそうに笑うあかねの顔なんか見たくなかった。

 こうして手の届くところにいる、いや、手の届くところに置いておきたい女神を見つめながら、そんなことを思った。

「きれい…だな…」

 無防備になっていく少年の心。
 どんなものでも優しく解きほぐしてしまいそうな春の香りと陽射し。そして、傍らには己を魅了して止まない美しすぎるほどのあかね。
 容易には外へ出ることが許されなかった本能が解き放たれていく。
「え…?」
 驚いて振り向いたあかねを無意識のままじっと見つめた。


 さあっと頬を撫でていく風がベールを揺らした。


 戸惑いと期待に揺れる瞳にはっと気付き、乱馬はがばっと起き上がった。今度は、零れた本心を隠そうと躍起になる。
「い、いや、だから、その、しっ、自然がきれ…」
 だが、ここまで言って諦めた。いや、本能がそうしろと言っていた。
「なぁ…、俺って猫になってる時、どーしてんだ?」
「へ?」
 はぐらかされたような、そうでないような。何の脈絡もない言葉にあかねはきょとんとする。
「だから、おめーの膝の上に乗ってんだろ?どーゆー状態なんだ?」
「どーゆーって…。おとなしく寝てるだけだけど…」
「ふ〜ん」
 とだけ言うと、乱馬は再びゴロリと横になった。

「ちょっ、ちょっと!」

 ただし、今度は愛しい人の膝の上。

「らっ、乱馬っ!なにやってんのよっ!」
「なにって、休んでんだけど」
 しれっとした顔で返してくる。
「ばっ、ばか!恥ずかしいじゃないのっ!」
 彼を叩こうとして腕を振り上げる。

 ばしっ

 だが、細い手首はしっかりと大きな手に捕らえられていた。


「…だめか?」


 じっと下からみつめる深い泉の双眸に、少女の鎧は真砂となり、その内に秘めた想いが露わになる。


「…だめじゃ…ない…」


 振り上げようとした腕からは力が抜け、握った拳がそっと解されていく。
 あかねはその手で彼の髪に触れた。

 やさしく前髪を掻き分け、撫でていく優しい指先の動きに、乱馬の心は蕩けていく。
 甘く切なくて、けれども、心地いい。
 そんな不思議な感覚に酔いしれながら、閉じていた目をそっと開けた。


「……」


 春の陽に包まれたあかねの微笑みが、そこにはあった。
 もう何もいらない。心からそう思った。
 この少女がいてくれれば、それだけでいい。
 彼女が与えてくれる安らぎと笑顔があれば、幸せでいられる。
 ここにあかねがいてくれるという至福の時。
 
「あ〜、あ〜。ウエディングドレス着ちゃった」
 溜息交じりの声が漏れた。
「あん?」
「結婚前にウエディングドレス着ると、結婚が遅くなるんだって」
「おめー、んなこと気にしてたのか?」
「…だってー…」
「くっだらねー」
「なによ!」
「だって、カンケーねーだろ」


 …そのうち俺がもらってやるんだから…


 そう胸の中で呟いた。

「…?」
 しかし相手はあの鈍感娘。乱馬の胸の呟きなど分かるはずもない。
「なんで関係ないのよ」
「い、いーんだよっ。おめーは分からなくて!」
 自分で種を蒔いておきながら、収拾がつかなくなりそうな怪しい雲行き。
「なんでよぉ〜っ」
「なんでもだっ!」
「ずるいっ!自分一人だけ分かっちゃったような顔してっ」
「ずるかねーっ!」
「なによっ!乱馬のバカ!」
「んだとっ!かわいくねーなー!」
「どーせ、あたしはかわいくないですよーだっ!べ〜〜〜〜〜っ」

 どかっ

「ふぎゃっ」

 ご機嫌を損ねたお姫様のお膝元から、あっけなく転がり落とされた不器用な王子様。
「…んとに、かわいくねーなー…」
 どすどすと邸宅の方へ戻っていく花嫁の背中に吐いたいつもの悪態。
 けれども本当は、構いたくって仕方がない、かわいい許婚。
 その純白のウエディングドレスは、自分以外の男のためになど絶対に着させない。

「…いつかちゃんと言ってやるよ」

 先行く背中に囁いた「プロポーズの約束」。
 照れ屋でナイーブな少年には、今はこれが精一杯。

「おーい!もっと優雅に歩かねーとまずいんじゃねーのか〜〜〜?」
「うるさ〜〜〜いっ」
 いつもの二人。
 いつもの会話。
 けれども、そよそよと笑う風は知っている。
 少年の心に誓った約束が、いつか少女の心に届くことを。
 そう、いつの日かきっと…


     *
     *
     *
     *
     *


「いや〜、いい写真が撮れたよ〜」
 満足げなカメラマンの言葉にスタッフ全員が頷いた。
 そしてその横には、満面の笑みを浮かべる、見慣れた五人の姿。
「こっちもいいツーショットが撮れたわ」
 なびきはカメラ片手にウィンクする。
 嫉妬でメラメラと燃えた乱馬を猫化させれば、必ずや妨害に入って相手モデルを追っ払う…と、乱馬の傍で猫を放した。
 しかし、まさかこのようなおいしい膝枕写真が撮れるとは嬉しい誤算。
「二人で撮る写真はもうこれで十分だろう。二人ともいい表情してたからね」
 まさかこのベストショットがトップページに飾られることになろうとは、想像だにしていない乱馬とあかね。それ以前に、膝枕の写真が撮られていたことすら、雑誌が発売されるまで気付くことはなかった。
「まっ、どうせ雑誌に載るんだろうし、あたしのは、あの子たちが本当にウエディングベルを鳴らす時にでも売り付けようかしらね」
「まぁ、なびき。売り付けるだなんて…。せっかくだからご町内の皆さんに配って差し上げたら?」
「…お姉ちゃん。そっちのほうが惨いと思うわよ」

 若き不器用な許婚たち。
 家族の深〜い思いに支えられ、前途多難な道を行く。
 ああ、人も羨むHappy Wedding。
 この二人に訪れるのは一体いつの日のことなのだろう…




かさねサマから頂きました。以前から chai に来て下さっていたとういうステキなお方v その上なんと! ココで掲載していたイラストを元にお話を書いて下さったのです!! きゃーっ嬉しすぎるーvv そのイラストは贈り物絵「Happy Wedding!」の新郎新婦の乱あの姿。頂いたお話の中の2人は反発しながらも、甘い空気に包まれていますよね〜。そして私びっくりしていたのですが、このイラストは元の資料がありまして、外国の写真集の中にあったウェディングカップルの構図を真似たものでした。大きな木の下で柔らかな木漏れ日の中、幸せそうな新郎新婦。どの写真もカメラ目線じゃなく、自然な2人を撮っているものでした。なのでそんな裏事情をお話の中に盛り込んで下さったようで、嬉しさ更に倍です!! chai では初めて四章にも渡るお話を頂いてしまいましたし、掲載イラストから書いて下さったし、んもう各章ごとのイメージ写真なんてくっつけちゃったーv 元にして下さったイラストもちょいと加工してぺたりんこv イラストの奥まで見て書いて下さったお話。
かさねサマ、ありがとうございました!

〓CLOSE〓